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ご挨拶 |
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経営者ニュースと言いながら病気ニュースになってしまいました。男の同窓会に行くとゴルフの自慢と病気の自慢ばかりで、女の同窓会は旦那の不満と息子の自慢だと聞いたことがあります。私もどうやらその仲間になったようで、こんな筈では無かったのにと内心あわてています。76歳になって始めての体験ばかり続きます。昨年1月に白内障の手術を受けて、3月に切腹して傷の跡が痛い痛いと思っていましたがどうも、ヘルニアの所為だったのでしょう。5月に石が出て、6月に40度の熱を出して、7月8月9月と毎月石が出て、10月の終わりに膀胱炎で熱を出して11月は4週間抗生物質のお世話になり12月に石が出て、今年1月に血尿が出始めてまた石です。2月に内視鏡で石を取り出すことになり、次に副睾丸炎という奇病に罹り熱を出して、12時間以上ボケていました。3月6日に鼠頸ヘルニアの日帰り手術を受けました。大阪市大病院では、「メッシュを入れたる、あとは1週間目に見せに来たらいい。糸も抜けへんで。」と楽勝のようでしたが、局所麻酔で麻酔しながら切って行くような話しでしたが、手術を受けている間、なぜ腰椎麻酔でしないのかなと不思議に思いました。何かチマチマ切って居るようで、鬼手仏心。一気に快刀乱麻の切れ味に程遠いやり方のように思いました。そのせいでは有りますまいが、翌日から傷口が腫れて痛みます。「なんや脱腸治ったれへん、まだ脱腸が出とるがな」と思いました。しかし少し違うようでもあります。
早速曽我部先生のところへ飛んでいきました。内出血が少しあるが、メッシュ入れた反応で腫れているのだから日がたてば直るということです。再手術もありうると覚悟していましたが安心です。再手術なら、今度は腰椎麻酔で頼もうと思っていましたがその必要はなさそうです。3月14日現在傷口の痛みが残っています。脱腸が始まったような痛みです。もう1週間ほどしたら痛みは取れるのでしょう。そうしたら生活習慣病も対策が出来ましたので腎臓結石にもお別れが出来るはずですしこれからもりもり前進したいと思います。
パソコンが壊れたこともあって昨年は1年間何も進みませんでした。そこで。病気ニュースのようになって申し訳ありません。これでやまい抜けをして、元気に暮らせると思います。これはと思うようなニュースを仕入れてお知らせしたいと思います。乞うご期待! |
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今年も木枯らしが吹いて 平成14年12月 |
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風がすっかり寒くなった。まわりの景色も木々は葉を落としススキもほうけて、いよいよ名張での越冬生活が始まることになった。
寒いのが嫌いで避けてきたのに、自分から喜んで移り住んできたのだから、人間て面白いと言わねばならない。
どうしても、人間は自分で思った通りの人間になるようで、思ったことは実現するというのが本当のようだ、ガンになるとは思わなかったのですが、75歳で引退と考えていたのはガンになって実現しました。病気に引導を言い渡されたようなものです。
幸いにガンは横内先生のオーリングテストと気と漢方薬のお陰で心配はありませんが、ガンと言われてみると金銭欲が無くなった気がします。日常の生活がとても大切になってきました。寝たり起きたり食べたり話したり電話もメールも花が咲いて苗を植えて草取りして木を刈り込んだり安売りに駆けつけたり日々の行いが貴重であり楽しくてしょうがないのが実情です。
寒いのも楽しめる心境です。随分自分が変わったように思います。そしてまだまだ生きなくっちゃあと生きる意欲は盛んです。しかし腹を切ったのは、ハンディのようで、冷えるとか、締め付けるとかすると、時に痛くなったりします。それに5月に結石が出来て、6月に膀胱炎で熱が出たり、11月にも膀胱炎が出て4週間も抗生物質を飲む羽目になりました。日頃は何ともないのですが、何かあると一番弱点のある腎臓系にしわ寄せがくるようです。
百合が庭に自然に生えてきます、山百合だとばかり思っていましたが花が白一色で鉄砲百合のような花です。しかし、葉っぱがとんがっていて庭に植えた鉄砲百合とは違います。花は全くと言っていいほど似ております。むやみに生えてくるのです。雑草のような気がします。
ゆり根をほりあげて食べてみましたが、旨かったので栽培してやろうかと考えています。庭にはそのほかに南天や紫式部や山紅葉や山椒まで生えてきます。野鳥が実を食べて糞をしていくのでしょう。それに、百合や山紅葉は風に乗って飛んでくるのでしょう。だから野草は我がもの顔で生えてきます。
体調はとても良くて気分爽快なのですが、物覚えが悪く、すぐに忘れるのが難点です。それに世の中の変化についていけないのか、テレビの宣伝見ていても、なにの宣伝をしているのか良くわからなくて困ります。スーパーチューナーの宣伝でフラフープのような動作をして、宣伝しているのがあるのですが、あれなど雑誌をめくっていたら、4頁ほどの宣伝があり、やっとスーパーチューナーの宣伝だと分かったのですが、何に使うのか分かりません。おそらくテレビのチューナーだと思うのですが、東芝も金が捨てるほどあるのでしょうな。価格も何も表示されていなくて私には不思議な宣伝です。チューナーにハードディスクがついているらしのですが私には、ハードディスクにチューナーをつけたようなものに見えます。
それでも何をする機械なのか良くわかりません。世の中の進歩発展はめまぐるしくて老人にはついていけません。ミニモニの歌でも見ているのが一番かも知れません。
団地のすぐ横に里山があるのですが、2年ほど前にその山を切り開いてバイパスを作りました。伊賀上野に行く道です。広々とした快適な道でくるまで走るには申し分ありません。ところが最近その道沿いの松が枯れてきました。松は団地を造成したときに、自然に生えてきたものですから13年くらいの若松です。その松が枯れるのですから車の排気ガスがどれだけ悪いのか分かります。松は排気ガスにとても弱いのです。松食い虫と言いますが、排気ガス汚染が一番悪いのです。松に悪くて人間に良いはずがありません。
私も車に乗って一番排気ガスの少ない本田のフィットにしたのですが、それでも罪は免れません。
名張では車がないと殆ど生活が成り立ちません。スーパーや買い物店や食べ物店は、全部歩いて行ける範囲にありません。どうしても車になります。家から歩いて5分の所にある、近鉄百貨店で全部済ませれば良いのですが。実際には不可能です。空気を汚し排気ガスをまき散らしながら公害を非難する資格はないと思います。それでもえらいこっちゃと言いたくなるのです。(馬鹿みたい)
一年は早いものでもう12月です。あさっては12月8日です。一生忘れることのない日です。日本の前途に不安を感じた日です。
「本八日未明西太平洋において米英と戦闘状態に入れり。」と言う放送をたまたま聞いた瞬間「アカン」と思いました。アメリカみたいなとてつもない国とは戦争してもアカンと私は思いました。日清・日露では勝つことが出来たけれど今度はアカン負けると言うのが第一印象でした。本当にとてつもない国でした。今でもとてつもない国です。しかし、石油を止められたときは、私はアカンでも戦争やと思いました。あのとき日本人は全部アカンでも戦争やと思ったはずです。
イランや北朝鮮の人間がアカンでも戦争やと思わないか気つける必要がありす。 |
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最近の健康状態 平成15年2月28日 |
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昨年、前立腺でごたごたしたあとようやく前立腺と縁が切れそうに成って喜んでいたら、残念なことにあとに糸を引いていろいろ苦しめられました。
3月に手術をして、10年は手放しで安心の筈が、切り取った前立腺の肥大部分にガンが見つかった話はすでにご存知でしょう。それにひき続いて5月に石が出ました。この石は傷口のかさぶたのようなもので、二・三ヶ月の内に出ることがあるそうで心配イランと言われました。これで本当に終わりだと思ったのが大あまで6月に40度の熱発で、尋常ならざる発熱だと思いました。このときは原因が分からずでした。
その後7月と8月と9月と毎月石が出るのです。そして10月も石が出るのかと気にしていると、10月の終わりに熱が出て、膀胱炎だと診断されました。
11月に3週間抗生物質を飲み続けて熱も下がり尿の出血と濁りもとれました。これで終わりかと思っていると12月16日に石が出ました。もうさんざんです。1月になるとまた血尿が始まりました。石が出そうで膀胱(前立腺と一体に成っているので前立腺)の出口でつかえているのです。
CTスキャンによると、前立腺の出口に石が有ります。ところが先生に指摘されて分かったことは「脱腸が有るで」と変な方向に話がそれていくのです。その上恐ろしいことに、腎臓に砂粒ほどの石が左右に2・3個ずつ石が有るのです。石の予備軍です。
今までですと、3年に1回くらいの割合で石が30年間に10回くらい出たのですが、昨年は毎月のように石が出て、今は5・6個予備軍がいるというのですからたまりません。どうしてこんな事になったのか考えてみました。すると生活習慣病だと言うことが分かってきました。
水の取り方が悪いのです。水を一日に2リットル飲むように言われても、すぐに下痢が起こって飲めなかったのです。今までは食後に水を飲んでいたのです。食後にお茶を飲み、食後の薬を飲みと食べてから水を飲んで居たのです。それを食前に飲むようにしました。朝起きたらまずコップに一杯水を飲みます。湯で割った人肌くらいの温度です。それから食前に又一杯飲みます。そして10時から11時にコップ一杯飲みます。そして、食前に又一杯飲みます。午後は3時か4時に一杯飲んで、5時か6時に飲みます。食前に一杯飲みます。朝から7杯か8杯飲んだ勘定です。一杯180CCとして1.6リットルは飲んだことになります。
これで、下痢も解消です。食後に飲むと食べたものが消化しない内に大量の水で消化不良になるのです。要領が分かったのでこれからはうまくやれると思います。急に多数の石が溜まりだしたのには、原因が有りました。家庭用のサウナを買ったのです。月に2・3度それに入って大汗をかいていたのです。どうもそれが悪かったらしく、曽我部先生にサウナ禁止を言い渡されてしまいました。
タネが分かると馬鹿みたいなものですが、これからは気をつけて水を飲み、大汗をかくようなことはしない積もりです。生活習慣病と言うのはこういうことです。腎臓の砂粒のような石は早くお出まし頂くように、ハトムギの入った煎じ薬を飲んでいます。今度CTスキャンすれば全部出ていることでしょう。
それから右鼠径部のヘルニアは、1月の31日に大阪市大病院で診て貰ったところ、3月6日に手術と決まりました。これもまた驚いたことに、日帰りで手術が受けられるのです。医学の外科手術の進歩発展は想像を超えています。この歳になって驚くことばかりです。だから生きているのが楽しいのです。3月6日を楽しみにしております。先生は「メッシュヲ入れたるから」といとも簡単な口振りです。術後毎日通院しますか?と聞くと、「いや、必要無いで、1週間目に見せに来てくれたらええで」と言う調子です。すっかり嬉しくなってわくわくしながら還ってきました。「糸も抜かへんで」とあっさりと先生はのたまう、「糊で附けとくのや」と言う人もあり、興味津々です。セメダインか何かの瞬間接着剤で付けられるのやろかと想像を巡らしております。
それは術後の報告をお楽しみにお待ち下さい。今日は2月28日です。あと六日で結論が出ます。
今回はいつもの石がだんだん大事に成っていきました。それに前立腺の出口は会陰部にあり、右鼠径部は太ももの付け根です。その上左副睾丸はいわゆるゴールデンボールにあるのですからたまりません。それぞれが勝手に時々痛み出すのです。どこやら分かりにくい近間にあるのです。私は手のひらで隠れるところに集中しているので、「我は痛まん掌中の間」と名付けました。
体温計で測ったときは39度4分まで上がりましたが、おそらく40度近くまで上がっていたのでしょう。夕方8時を朝の8時と間違えて8時15分の朝の連ドラがなぜ無いのか不思議でした。NHKが間違えていると思っていたのです。そして10時に家内が大阪から来たのが朝の10時の積もりです。すこし昼寝をして居るつもりが、6時に眼を覚ましてトイレに立ち、夕方6時だから外灯を付けておこうとスイッチを入れて眠りました。7時過ぎにトイレに立ち、外灯が消されているのでスイッチを入れて戻ろうとしました。雨戸は開けてなかったので家の中は少し暗かったのですが窓を見ると明るいのです。このときに初めて自分が呆けていることに気が付いたのです。実に12時間呆けたまま居たのです。とうとうボケ老人に成ったのかと少し不安がよぎりました。医院でその話をして「アルツハイマーのアルツハまで来たんでしゃろか」と笑って居ると、先生は「呆けたら、俺は呆けてないと言うようになるから分かる」と一笑されてしまいました。 |
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癌と言われて 平成14年5月 |
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自分は癌にならないものと思い込んで今まで来ました。前立腺の手術を受けるについても、癌は無いと絶対的な自信が有りました。考えてみれば根拠も何もないのです、それが、自分は絶対に癌にはならないと言う変な自信が有るのですから救われません。
前立腺の手術で生検(身の一部をちぎり取って顕微鏡で検査をすること)を受けても自分は絶対に癌なんて人ごとだと思い込んで平気でいました。生検の結果も癌はありませんと言われても当然のことと平気でした。
私は癌になど罹るわけがないと殆ど何も考えずに居りました。この自信はどこから来るのでしょうか、本当に人間はノー天気で、不用心なのでしょう。そう言えば家内が3年前に大腸ガンに罹ったときも全然不用心で、癌に罹る恐れがあるという事すら考えたことはありませんでした。本当に人間なんてノー天気なものです。
手術が無事に済んで、先生がとれた前立腺とつまみ出した膀胱の石を膿盆に入れて見せて貰ったときは、これで前立腺肥大症とは縁が切れて泌尿器科のお世話になることは有るまいと思いました。手術の後で、かかりつけの前田先生も病床まで来て下さって、「赤尾さん、これで10年間は手放しで安心やで」と元気づけて下さったのです。(前田先生お忙しいのにわざわざ病床まで来ていただいてありがとう御座いました。)(宮川先生、武田先生も来ていただきました。他にたくさんの人が忙しいところを時間を割いて見舞っていただきました。御礼申し上げます。)
ところが、1週間ほどしてから、担当医の前川先生が気の毒そうに病室まで来て「癌がありました」と告知されました。青天の霹靂と言う奴でしょう。こちらは驚きました。しかし、そんなに打撃は有りませんでした。家内が癌から生還しているのですから、恐れる事はありません。
医学では前立腺癌に対しては、ホルモン療法が良く効いて5年は押さえることが出来るようなのです。5年たてば薬が効かなくなるそうです。そうするとどうなりますかと聞いてみると、そうなると制ガン剤効きません、放射能効きません、手術出来ません、と言うのです。日赤では73歳までなら手術を勧めるが、73歳以上の人には手術はあえて勧めないと言うのです。その根拠は日本人の男性の平均寿命は78歳だからと言うわけです。赤尾さんは75歳だから5年経てば80歳だからもう良いでしょうと言うことらしいです。
私の親父は75歳で旅立ちました。私も既に親父の年まで生きたのです。もう良いやろと言われても困ります。後5年は癌で死なないと保証があるようなものです。ただし、5年以上は駄目と言うことなのです。ええようなあかんような気持ちです。勿論明日にも心不全とか、風邪から肺炎でとかコロット逝くかも分かりません。餅がのどに詰まってと言うこともあるでしょう。寿命というものは不思議なもので、このあたりのことはみんなどう考えているのでしょうか。80歳なら死んでも良いとも言えるし、未だ生き足らんとも言えるのです。寝たきりになるとか痴呆症に罹るとかしてまでは、ご免被りたいのですがこれだけは誰にも分かりません。船井さんに言わせると痴呆症でも治るらしいのです。だから私は痴呆症に対しても楽観しているのですが、寝込まないとは言えません。脳溢血や脳梗塞でヨイヨイにならんとも言えないわけです。
元気で自分のことは自分で出来るならもっともっと長生きしたいのがホンネです。少なくとも5年で終わりと年限を切られたくは無いので寿命は分からないが、末期癌でも治ると言う東京の横内正典医院に行きました。オーリングテストの結果癌が残っていることが確定しました。小さいものらしいのですが油断禁物です。
『末期癌の治療承ります』の著者横内正典先生も、「患者が風邪をひいたり体調を崩したりしたときなど、体力の衰えにつけ込んで、早期癌が進行癌に豹変して残酷な癌の正体を現すのだ。癌と診断されたからには油断大敵なのである。(中略)私は癌専門医として、そのたびに自分の無力さを思い知らされてきた。癌は死に至る病であることを忘れてはいけないのである。」と書かれています。(177頁)
2月26日に看て頂いて薬を貰ってきました。薬を煎じる機械も買ってきました。「トロ火」と言う名前です。大阪の魔法瓶メーカが作って、大阪の扇町の会社が売り出して居るのです。大阪らしい製品です。それを東京まで行って買ってきました。なんやアホクサと言うのが私の感想です。上新電機へ行って「2万なにがしかのトロ火を1万6千円くらいで入らんか」と注文したら1万7千くらいで入ったと思うのです。(閑話休題)水の量を計って煎じ薬を放り込んでおけば、炊いたり消えたり何度か繰り返しながら1時間ほどすればうまく出来上がっています。説明書によるとマイコンが制御して吹きこぼれることもなく自動的に出来るとあります。自分は胃腸が弱いのでせんじ薬は飲み続けられるのか、苦くてよく飲めるのか心配でしたが案ずるよりも生むがやすしで、薬は、抗ガン性の薬と、体力を付けて抵抗力を付けるのと二種あって、この煎じ薬を飲めば胃腸の調子が良くなって食欲が進むのです。
お陰で、調子が良くなって体重が増え加減で困るくらいです。少なくとも体調が良くなるだけでも有り難いことです。調子が前より良くなるのですから応えられません。そして一ヶ月経って3月25日東京へ行って再び診て貰いました。既に癌細胞の活動は停止していることが分かりました。癌腫瘍は残っていても転移しない状況に有ると云うことで、ひとまず安心です。今度は、抗癌漢方薬は一種類減って薬は半減しました。この調子で行けば恐れることはありません。5年生存して見事完治を目指したいものです。健康保険は利きませんが所得税の医療費控除はいけるのです(税理士談)。この辺が、そこら辺の民間療法と違うところです。何はともあれ癌でも治る時代になったことの有り難さを満喫して居ります。二十歳代に肺結核で死にかけて居たときに、ヒドラジッドが開発されて命拾いしました。塘先生のお陰です。今度は「気」と漢方とオーリングテストと横内正典先生のお陰です。 |
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